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元東洋チャンピオンが直接指導するボクシングジム MITANI YAMATO GYM

会長挨拶Chairman salutation

千葉八千代から世界チャンピオンを!

今の時代の子供たちにかけているもの
それは夢みる力と、どんなに打ちのめされてもそこから立ち上がろうとする精神力だと思う。

私は、幼少より父親と二人三脚でボクシングの世界チャンピオンを夢見て歩んできた。
岡山の田舎育ちの私が、世界一を目指すという夢を持てたのは、まさしくボクシングのおかげだった。

しかし、ボクシングは私に夢ばかり見させてはくれなかった。
二度の世界戦、届きそうであと一歩届かなかった壁。 その壁は低いようでいて、限りなく高かった。

人生には、その壁がどんなに高かろうと、自分がどんなにボロボロになろうと、登って行かなくてはならない時期がある。
結果がどうであれ、そこで自分を誇れるぐらいに頑張りぬいた人間は、本当の強さを持てるのだ。

私のこれまでの人生はボクシングによって作られてきた。
これからの人生は、そのボクシングを通じて、未来の子供たちに、それらの事を伝えていく。

四角いリングの中で、どんなにたたきのめされても、自分の夢を信じ、最後の最後まで諦めないで立ち上がろうとする事こそ、人生の舞台でも大切なことではないだろうか。

三谷大和スポーツジム会長 三谷大和



2013/08/28ヒーロー達の奇跡「Hero'sインタビュー」に記載されました。

三谷大和のこれまでの人生の歩みを余すところなくお話した内容すべてが載っています。
少々長いのですが、お読み頂けたら幸いです。


《第29代OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座》
三谷大和スポーツジム会長 三谷大和氏



◆業種

ボクシングジム経営

◆子供のころになりたかったものは?

正義の味方
テレビのヒーローものに憧れた。
当時はゴレンジャー、戦隊もののはしりだ。

中でもアカレンジャーが好きだった。
その影響という訳ではないが、今でも赤が大好き。
ジムのイメージカラーも赤、パソコン、携帯、マウスにカバン等も赤に近いワイン色を使用している。
下着も赤パン。
ゲン担ぎで、試合のパンツも常に赤パン!

幼稚園の頃からケンカばっかりしているガキ大将で、小学校1年生から父の影響で空手を習い、4年生から空手に並行してボクシングを習った。
姉弟ケンカもよくしたが、高校生のとき空手で日本一になったような姉なので、姉には敵わなかった。

ボクシングに夢中になったきっかけは、具志堅さんの14度目の防衛戦だ。
テレビにくぎ付けになり、最初からプロを目指した。
具志堅さんが14度目の防衛を果たせなかった対戦相手、ペドロ・フローレスは自分がプロになって倒す!と本気で思っていた。

正直、ボクシングを止めたいと思ったこともある。
しかし、どうしても辞められない理由があった。
それは有名になる必要があったから、それを思うと続けられた。

小学校2年生の時、両親が離婚した。
自分たち姉弟は父と暮らすことになり、母は家を出ていった。
父はスパルタで、特に挨拶などしつけに厳しく、食事の時「肘をつくな」とよく怒鳴られ殴られた。

それでも幼稚園に送ってくれたり、優しい面も多く感謝している。
ただ、父からは、母の悪口ばかりを聞かされて育った。
姉は非常に母を恨んでいたようだが、自分は、母にはきっと事情があったに違いないと信じてやまなかった。

母に会いたい。
「ボクシングで有名になればきっと会いに来てくれる。」そう思って辛いことがあってもがんばった。

そして、本当にその日がやってきた。

高校三年生のインターハイ1回戦の時、会場に母の姿を見つけた。
小学校2年生からずっと会っていなかったが、直ぐに母だとわかった。
駆け寄ると「見ていい」と母が一言。
嬉しくてたまらない。

「インターハイに優勝するつもりできているから決勝戦も見に来て。」と返した。
決勝戦に来てくれた母は、1回戦の時にとった写真を持って来てくれた。
そのとき「産んでくれてありがとう」と言った。
いつか母に会ったら言おうと用意していた言葉だ。恨んでなんかない。と伝えたかった。
母は、「ありがとう」と泣き崩れた。
自分も泣きながら、必死でそのネガの袋についていた申込用紙をこっそり剥ぎ取り大事に持って帰った。
それには母の住所が書いてあったからだ。

母は神戸に住んでいた。
いつか必ず会いに行こう!
大学生になって神戸まで会いに行った。
母は申し訳なさそうにしていたが、母が幸せで良かった。

あれから数十年たったが、今でも時々母に会いに行っている。


◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

「お前の目を信じたまでだ!」
中学の陸上部の顧問
体育の先生で女性だが、この先生が顧問になった部活は、必ず大会に出場すると言われた先生。

その頃の自分は、心からグレていた訳ではないが、制服は、流行りの単ランに幅広ズホンというスタイルだった。
学校の先生は全員敵に見え、高校受験を控えて内申書等、良く書いてもらえるはずがないと思っていた。

ところが高校受験の面接時、「部活も毎日出ていて、熱心に取り組んでいるのですね。」と面接官から言われ思わず「はい」と返事をしてしまった。
当時、自分は陸上部に所属していたが、ろくに出席していなかったので、面接で嘘を言ったことになる。

そんな自分が許せなかったが、その嘘をつかせたのは内申書を書いた陸上部の先生だ!と思い、先生に殴り込んだ。

その瞬間、先生は「バチン!」と机をたたいて「私は本当のことを書いたまでだ!」と反対に怒鳴られた。
陸上部は確かにあまり参加していなかったかも知れない、しかしボクシングは毎日一生懸命しているだろう。
「お前の目は負けず嫌いの目をしている。そこを信じたまでだ!なんか文句あるか!?」と続けざまに怒鳴られ、自分は号泣した。

自分を信じてくれている人がいる!
「誰にも信じてもらえない」と思っていただけに、驚きと喜びで涙が溢れて止まらなかった。

その日以来、きっぱり単ランを止め、敬語もきちんと使うようになった。
この先生がいなかったら、自分は大学はおろか高校にも行けなかったかも知れない。
勉強は一生懸命していたが、大学に興味はなかった。

しかし、人を教えることに興味を持ち、教員になろうと思った頃から大学進学を視野に入れた。
どうせ行くなら、早稲田大学に行こうとがんばった。

教員免許も取得したが、学校の先生はサラリーマンで、現実には熱血な教育や指導はできないとわかった。
それならば!ニートや引きこもり等を全員引き受けるつもりでジムを開いた。

リングを教室に、チョークをグローブに見立て、リングの中で話を聞いたり遊んだりする。
ジムは、「自分を認めてくれる」場所!
そういう環境作りをしている。

かつて、マラソンランナーの高橋尚子選手を育てた小出監督に「指導者の目をしている。」と言われたことがある。
「その優しい目は、良い指導者になるよ。」と言われたことは今も励みになっている。


◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

離婚

40歳になったら、ジム経営も妻任せではなく自分でやろう!と人生設計を立てていたが、離婚によって強制的にその日を迎えることうになった。
離婚によって、物凄く自分が変わったように思う。
スイッチが入った。

右も左もわからず、残った選手も一人からの再スタート。
ジムの経理をみてくれていた会計士の先生との交流もなかったので、うまくやっていけるか不安だった。
しかしここで虚勢をはっても仕方がないので、会計士の先生に「パソコンも経理も殆どわかりませんので、教えて下さい。」と頼んだ。

教えてもらいながら話すうち、会計士の先生が泣き出した。
自分のことを誤解していたというのだ。
何でも素直に取り組むと、周りが認めてくれることを改めて知った。

そのお陰で、ジムの経営も選手育成も良い方向に向かっている。
但し、子供には悪いことをした。
子供が大きくなったら「会いたい」と思われる親になりたい。


◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

ギブアップを知らない。

そのお陰で、乗り越えられた。
これは最近、周囲の人から言われたことで、自分では気づいていなかった。

バカがつくほど、諦めないということで、天才バカボン、大山倍達の空手バカ一代、と並べて三大バカと称された。

確かに人生を振り返ると、諦めたことがない。
99回負けても1回勝てば、そこからずっと勝ち続ける自信もある。

子供が相手でも手を抜くことはない。
驕らないよう心がけている。


◆夢は?

1、倫理道徳をもった選手を育てる!

選手は、親御さんたちから一時的に預かっていると考えている。
立派にしてお返ししたい。
最初から出来る子はダメになりがちだが、そういう子には、仲間を仕切る喜びを教える。

その子を先生と呼んで「先生こんなパンチでいいですかね。」等と聞き、持ち上げて毎日来させるようにする。
友達の前で持ち上げれば、後に引けなくなるので、壁が来ても止められない。

「さすがー!」等と褒められ乗せられながら頑張っているうち、知らず知らずに壁を乗り越えている。
これも、乗ったもん勝ちだ!

ケンカもしないような子が、6年で新人王を獲得した実績もある。
「ジャブの練習」といったら、夕方4時から夜の10時まで一人モクモクと練習し続けているような子だった。
素直に乗せられたものは伸びる。


2、経営者を強くする

経営者を強くする会をつくり、心身を鍛えている。
経営にはオンとオフが大事。
オンは動で、ボクシングを取り入れ肉食系の経営者をつくる。

毎週水曜日の朝8:30から、武士になった経営者がジムで練習している。
オフは静で、茶道を取り入れ、時間を止めて自分と向き合う時間をつくる。
自分も週に一回は茶道を習っている。


三谷大和スポーツジム

・アマチュア
第42回インターハイフェザー級優勝
第59回全日本選手権フェザー級優勝
第60回全日本選手権フェザー級優勝
第62回全日本選手権ライト級優勝
第47回国体成年の部ライト級優勝
・プロ
第32代日本スーパーフェザー級王座(防衛0度)
第27代OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座(防衛0度)
第29代OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座(防衛1度)


■ヒーロー達の奇跡 『Hero'sインタヴュー』とは、
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三谷 大和 スポーツジム

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